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三島風鈴

関根 久雄

せきね ひさお

(有)日光陶器店

色褪せることのない
職人の業から生まれる、清らかな音色。

夏の風物詩として知られる風鈴。誰に教えてもらった訳でもないのに、涼を感じさせてくれるこの音色は職人の業によって美しさを増す。
三島大社南側、趣のある古い商店が建ち並ぶこの通り沿いから今年も夏の音色が聞こえてくる。昭和38年に創業し、間もなく50周年を迎える日光陶器店。ここで一つひとつのガラスに命を吹き込み、三島風鈴を作っているのが関根久雄さん。

久雄さんがガラスに出会ったのは26年前。当時先だって親父さんが焼いていた陶器の仕事に携わっていた久雄さん、「せっかくこの地で作るなら三島の土を使って陶器を焼けないか」と考えたそうだが、どうしても三島の土は陶器に合わなかったのだと言う。
何故合わないのか、どうしたら三島の土で焼けるのかを考え、研究をするために用いたのがガラスだったと言う。
“素材”として初めてガラスと向き合った久雄さん。その中で、ガラスが持つ素材としての楽しさ、涼しげな透明感が気に入り、その清らかな特徴が活きるガラス工芸、風鈴作りを陶器の仕事と平行して行うようになった。
しかし、風鈴を作りたくても誰も教えてくれる人がいないというのが現実。待っていたのは当然のように失敗の連続だったのだそう。通常、ガラス作家の多くは大学でガラス作りを学び、その後師匠に教えを乞い、認めてもらった上で一人立ちするのが一般的だと言われる世界の中、ガラスに関して何の知識も無かった久雄さんは、何と窯造りから風鈴作りまで全て独学で学び、自己流のスタイルを築いていったのだという。
「小さな頃から『好きなものはやるけど、嫌いなものはやらない子』でした」と幼少期を振り返ってくれた久雄さん。その頃から職人としての気質が芽生えていたのだろう。そのため、勉強に勉強を重ね、化学反応についても一から学び直しとことん研究した結果、少しずつ風鈴を作れるようになっていったのだそう。
やりがいは「難しさ」と話してくれた久雄さん。「全く同じ形や色合いの風鈴は作れないし、その日の気温や湿度で仕上がりは大きく変わります。そういった日々状況が変わる中で、同じ基準で安定して風鈴を作るというのは難しいのです」とその苦悩は尽きない。

そして、6年前に新たな壁にぶつかったという久雄さん。それまでの風鈴作りは化石燃料を元にガラスを作り出していたそうだが、実は環境に悪いためどこか罪悪感を持っていたのだと言う。少しでも環境への負担を減らして風鈴を作れないものかと考えるようになり、これまでは一方通行でしか使われていなかったガラス瓶を再利用できないかと考えた結果、それが見事に成功し現在ではほぼ100%リサイクルの環境にも優しい風鈴が誕生した。
それでも、ただ単にガラス瓶を溶かし、風鈴にしただけでは涼しげな良い音がでないと言う。そのため、鉄や銅を少し混ぜることで音に広がりを持たせることができたのだそう。
さらに、良い音を出すために、形を真ん丸だけでなく、あえて楕円のように伸ばすことで音階に違いがでることを知ったのだそうだ。
音階の違う一つひとつ個性のある風鈴がまとまって、より一層素晴らしい音色を奏でてくれる。それは、まるで家族の形にも似てるよう。
久雄さんによって命を吹き込まれた、家族の音色からは“癒しの涼”を感じることができる。