TOP > 百年企業 株式会社 安心堂

時計と共に歴史を刻む

株式会社 安心堂

創業 1912年

株式会社 安心堂 イメージ1 株式会社 安心堂 イメージ2
株式会社 安心堂 イメージ3

小さな時計店が世界へ。

時を刻み始めた時計店

東京・神田に小さな時計店「安心堂時計店」が創業したのは1912年。明治から大正へと時代が変わるそのときに、創業者である永田龍之助氏は、「日本一」を名乗ることを許されるほど時計の修理技術を広く認められていました。
その後、龍之助氏は静岡に移り、時計店を営むことに。静岡の地に導かれたのにはあるひとつのエピソードがあります。時は江戸時代、1611年、駿府城で隠居をしていた徳川家康公が時のスペイン国王からひとつの時計を譲り受けました。その時計こそ日本に現存する最古の機械式時計なのです。
日本の時計文化が静岡という地で400年の時を繋いで発展したということは、安心堂時計店の数奇な運命ということもできるのではないでしょうか。
さて、龍之助氏の跡を継いだ長男永田正雄氏は、1947年に静岡の呉服町(現在の安心堂本店)の場所にとんがり帽子の時計台をもつ「安心堂時計店」を開店。戦後の混乱期には、「どこに持ち込んでも直らない時計はありませんか?あれば修理させてください」と、時には大八車を引いて、お客様のもとを一軒一軒丁寧に訪ね歩いたそうです。
お客様から預かった時計を大切に修理し、「百年時計」という信頼と技術で、地域に根ざし愛される安心堂の精神は、戦後の混乱期には既に確立しており、正確に時を刻む時計のごとく寸分の狂いもなく受け継がれているのです。
時計や宝飾品は購入しただけで終わるものではありません。消耗品ではなく次の代まで受け継ぐことのできる一生モノ。オーバーホールやメインテナンスが必要となる場合もあります。現在の安心堂におけるハイクオリティなアフターサービスはまさに百年の歴史の裏づけがあるのです。

伝統は革新の連続 そして今の安心堂へ

1950年代に入ると組織を法人化。メガネ部門や宝飾部門も発足し、“真・善・美”という本物の豊かさを追求する企業ポリシーを掲げます。メーカーからの商品を販売するだけでなく、それをどのようにコーディネートすれば、着ける人の個性が引き立つかをご提案したり、世界の巨匠と呼ばれる宝飾作家を招き交流する機会を設けるなど、精力的な革新を遂げていきます。
1970年にはロスアンゼルス、1976年にはパリにも展開。海外にも店舗を構えているのですが、これまで通り「お客様との絆を大切にする」というスピリッツは変わらず、大手にはないお客様との密接な関係を作り、本当に良いもの、美しいものだけを提供し、信頼を重ねてきました。
世界最先端の情報を学びつつ、お客様との絆を大事にするという姿勢がよく現われたのが、月面着陸を記念して1970年に限定750本で発売されたオメガ・スピードマスタープロフェッショナルモデルを全世界で一番多くお客様に紹介したというたぐい稀なる実績。
他にも、ジュエリーのアカデミー賞と言われる、ダイヤモンドインターナショナルデザインコンテストで最高位を受賞したり、ロレックスやブライトリングなどの認定技術者を日本全国でどこよりも早く輩出するなど、洗練された世界に触れ、それをお客様に還元するという、他の企業にはおいそれと真似できない安心と信頼、そして豊かさを届けてくれるのです。

想いに触れ、豊かさに触れる

時計職人としての確かな技術と想いを継ぎ、本物の豊かさを紹介するために研鑽する姿勢は今後も変わらぬ安心堂の確かなスタイルです。
宝飾品や時計、美術工芸品などは、敷居が高く時には憧れの的と感じることはあるかもしれません。しかしただ身に着ける、鑑賞するのだけではなく、世代を越えて受け継ぐことのできる確かなものにほかなりません。ほんの少しだけ背筋を伸ばして、真摯に向き合いたいと思い直します。
安心堂のお店に足を踏み入れると、フレンドリーなスタッフの、インターネットにはない豊富な知識とホスピタリティ精神溢れる丁寧な対応で心地よさすら感じます。
本物に導かれたとき、安心堂のスタッフにアテンドをしてもらうことで、豊かさに触れることができるのではないでしょうか。

株式会社 安心堂 イメージ4株式会社 安心堂 イメージ5株式会社 安心堂 イメージ6株式会社 安心堂 イメージ7
取材協力/株式会社安心堂