TOP > 百年企業 伊豆箱根鉄道株式会社

歴史の重みがサービスの重み

伊豆箱根鉄道株式会社

三島町(現・三島田)~南條(現・伊豆長岡)間の鉄道開通 1898年

伊豆箱根鉄道株式会社イメージ1

でかける人をほほえむ人へ。

笑顔を運ぶ企業でありたい

1898年。豆相鉄道株式会社により、現在の駿豆線の一部にあたる鉄道路線が開通しました。その後、1916年、前身である駿豆鉄道株式会社が設立され、昔も今も変わらず地域をつなぐ公共交通機関として愛されてきた伊豆箱根鉄道株式会社。「いずっぱこ」の愛称で親しまれる駿豆線や、曹洞宗の名刹、大雄山最乗寺の参拝鉄道としての歴史を持つ大雄山線。伊豆箱根バスやタクシー事業、箱根の十国峠ケーブルカー、さらには芦ノ湖の遊覧船、そして伊豆・三津シーパラダイスの運営など、今日まで交通事業を中心に多岐に渡って人々を楽しませる企業として社会に大きな貢献をしています。特に私たちに馴染み深い伊豆箱根鉄道駿豆線は、学園都市でもある三島市街へ通学する学生や、通勤するビジネスマンを運ぶ市民の足であると同時に、修善寺など中伊豆方面へと人々を送り届ける観光鉄道の役目も果たしています。
このように、普段使い、そして休日の移動手段としての魅力はもちろんのこと、それだけではなく、乗ること、出かけることをより楽しくしてくれるのがローカル線である「いずっぱこ」の魅力。例えば、中伊豆ワイナリーとコラボレートしたワイン電車や電車+バス+温泉入浴料がセットとなりお得な“湯ったり切符”など、普段「いずっぱこ」を利用しない人には珍しく感じるかもしれませんが、自由度が高く楽しくて嬉しい企画など、積極的な活動をしています。百年を超える歴史は地域で愛され続ける歴史と言っても過言ではありません。その証に、毎年秋口には大場駅のすぐ近く、本社敷地内で「いずはこね ふれあいフェスタ」と題したお客様感謝の日イベントが開催され、特に今年は4500名以上のお客様が足を運んで伊豆箱根鉄道を存分に楽しんだそうです。
これからも出かける人を笑顔と共に目的地まで送り届ける「いずっぱこ」として、長く長く地域の人たちに愛され続けるのは想像に難くありません。

笑顔と憧れを乗せて

伊豆箱根鉄道の歴史を振り返ってくれたのは、鉄道部運輸課の斉藤清孝さん。つい先日まで駿豆線で活躍していた、子どもたちの憧れである「でんしゃのうんてんしさん」です。斉藤さんは、地元三島、駿豆線の沿線で生まれ育ち、小学校に上がる前から伊豆箱根鉄道の音を聞きながら育ったそうです。「私が子供の頃は、赤電(あかでん)という赤い車体の冷房もない、扇風機のついた電車が走っていました。当時は車掌さんとの距離も近くて、人情味があふれていましたね。男の子なら誰もが通る道だと思いますが、小さな頃から運転士に憧れていたんですよ」と教えてくれました。
運転士の仕事の醍醐味をお伺いすると、「運転士ですから、もちろん安全に気を配りながら前方注視はもちろんですが、四季の移り変わりを感じられるのは駿豆線の運転士の特権かもしれませんね。田舎の路線ですから、田んぼの稲の生育具合で“そろそろ秋が来るな”なんて思ったり、冬になると、修善寺発三島行きの始発(5時26分発)は裾野まで真っ白な雪が積もった富士山に向かって走るので、他社の路線の運転士仲間からも羨ましがられる絶景です」と話します。
斉藤さんは現在、後輩運転士や乗務員を指導する立場にいらっしゃるのですが、電車に関わる人は憧れの的であるから、その自覚を持つことと同時に、シビアな乗務から一歩離れた時は朝のあいさつを大きな声ですることや、記念写真なども笑顔で応じることなど、お客様と触れ合う機会も持つようにと伝えているそうなので、利用する側としてもあいさつなどを積極的にしていきたいですね。

安全が一番のサービス

電車は定刻通りに安全に発着し、それ自体が時計のように正確なのですが、運転士や車掌さん、技術職や管理部門など関わる人すべての細やかな心配りがあってのもの。斉藤さんは、「小さなことがたくさんの人に迷惑をかけてしまうこともあります。特に駆け込み乗車は大変危険です。挟まれてしまうケースもありますが、乗務員が目視で確認し、ドアの開閉をしているのです。時間にも、心にも余裕を持って駅まで来ていただきたいですね。私たち電車に関わる人間にとって一番のサービスは安全であるということ。これからも多くの人の笑顔を安全に目的地まで送り届け、子どもたちから憧れられる存在でいたいと思います」と語ります。
伊豆箱根鉄道株式会社は、「でかける人をほほえむ人」にするのと同時に、企業として、そして地域に脈々と豊かな時間を刻んでいるのです。

伊豆箱根鉄道株式会社イメージ2伊豆箱根鉄道株式会社イメージ3伊豆箱根鉄道株式会社イメージ4伊豆箱根鉄道株式会社イメージ5