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vol.6 『モノアル』とは・・・

ミツバチ達のハチミツを
あくまでも分けてもらっている
という立場ですから
養 蜂 家 村上康裕 むらかみ やすひろ

 伊豆の国市田中山。街を見渡せるほどの高台にあり、周囲は木々に囲まれたこの場所でミツバチ達と暮らしている夫婦がいる。
 この豊かな自然の中で2人が営むのは養蜂。日本では明治30年頃から始まったとされるその技術を夫である村上康裕さんは独学の中で得てきたそうだ。通常、養蜂家のほとんどは師匠の下、何年も経験を積み重ねた後に独立するのが一般的とされている中、村上さんには教えてくれる師匠の存在がいなかったために、ほとんどを経験により学んできたのだ。そこから生まれた哲学は『自然に逆らわず、そのままに』。ミツバチ達が一生懸命採ってきてくれた自然からの贈り物とも言えるハチミツ。その味に、何も足さず、何も引かず、できる限り自然のままの味を楽しんでもらいたいという考え方だ。この哲学によって採れる『自然からの贈り物』は、花の種類によって味が分けられていて、どれを味わってみても本当に美味しい。鼻に抜ける香りがどの花から採れたのかを充分に感じさせてくれて、正にそのままという感じだ。
 和歌山県出身の村上さんは、実は小さな頃からミツバチ達との暮らしをしていたと言う。「父がみかん農家を営んでいまして、その傍らで趣味程度ですが養蜂をやっていたんです。子どもの頃にその様子を見ていたこともあって、ミツバチは身近な存在としてずっと過ごしてきました。しかし、その頃は規模も今よりずっと小さかったので、養蜂の大変さや難しさは実感していませんでし、何より将来これが仕事になるなんて思っていなかったです」。
 養蜂家となる前は、富士宮市で自動車部品の開発エンジニアとして働いていたのだとか。その頃から時おり訪れていた伊豆の風景が和歌山の故郷に似ていて、ぼんやりと田舎での農業暮らしを夢見ていた。
 転機となったのは和歌山の父の他界だった。それまで父が飼っていたミツバチ達の世話を誰もできなかったことから村上さんが引き取ったことから始まる。「最初、本業では難しいから副業としてできないかと思っていたんですけど、本業との両立が本当に難しくてどっちつかずになってしまったんです。しかし、そうこうしている内に不思議と養蜂関係で多くの人と繋がりを持てるようになりまして、養蜂家としてなんとかやっていけるんじゃないかという土台づくりができたんです。本当に私は人や運に恵まれていたと思います。それで40歳から本格的に養蜂家として仕事を始めることにしました」。
 村上さんからミツバチ達について聞いてみると本当に面白い。興味のある方は是非直接聞いてみてほしい。ミツバチの賢さや生態の不思議には驚かされることばかりで、それらを知ると普段近くで見かけるミツバチ達が次第に愛らしく見えてくる。村上さんは養蜂家になってから自然への見方が変わったと言う。「雑草ひとつとってみても今までは特別意識をかけていなかった所が、ミツバチ達にとっては大切な存在になっているんですよね。私達はミツバチ達のハチミツをあくまでも分けてもらっているという立場ですから、彼らの生活や活動を手助けさせてもらうことしかできません。この仕事をしていて本当によく思うことは、自然の中で活かされているということ。欲をかくと失敗しますし、自然に逆らって良いことはありません。いかにミツバチ達の働きやすい環境をつくったり、また、守っていけるかということが重要な課題です。だから、私はたくさんハチミツが採れた時は当然嬉しいんですが、それよりもミツバチ達が元気に育ってくれていることが何よりも幸せです」。

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